イメージナビでは、専門性の高い海外のライブラリから提供された歴史画や君主の肖像画、当時の文献の画像など、貴重な歴史コンテンツを多数掲載しています。
特にヨーロッパ各国の王朝に関しては豊富な画像を取り揃えております。
その中でも、一度は名前を耳にしたことのある王や皇帝などそれぞれの時代を象徴する著名人に関連したコンテンツを王朝ごとにまとめてご紹介いたします。
▶ #01 15〜17世紀の神聖ローマ帝国
▶ #02 スペインのカトリック両王とポルトガル、大航海時代
▶ #03 イングランドのテューダー朝
▶ #04 イングランド・スコットランドのステュアート朝
▶ #05 フランスのヴァロワ朝
▶ #06 フランスのブルボン朝
この記事では、レオナルド・ダ・ヴィンチを重用したフランソワ1世、イタリアのメディチ家からアンリ2世の元へ嫁ぎノストラダムスを庇護したカトリーヌ・ド・メディシス、スコットランド女王メアリー・ステュアートと結婚したフランソワ2世など、ヴァロワ朝に関連した人物をご紹介します。
フランス王(在位:1515-1547)。最初の王妃クロード・ド・フランスの死後は、マヌエル1世の三番目の王妃で宿敵カール5世の姉であるレオノール・デ・アウストリアと再婚した。王権を強めて後世につながる中央集権体制の基盤をつくったほか、芸術を振興してイタリアからレオナルド・ダ・ヴィンチを招き、フランス・ルネサンスの隆盛に貢献した。
フランス王(在位:1547-1559)。フランソワ1世とクロード・ド・フランスの子。イタリアのメディチ家からカトリーヌ・ド・メディシスを妻として迎えるが、母の侍女であり家庭教師でもあるディアーヌ・ド・ポワチエと長く愛人関係にあり美しいシュノンソー城を彼女に贈った。長男フランソワに嫁いだメアリー・ステュアートがイングランドの正当な王位継承者であると主張した。
アンリ2世の王妃。イタリアのメディチ家出身で故郷での名はカテリーナ・ディ・ロレンツォ・ディ・メディチ。アンリ2世の愛人ディアーヌ・ド・ポワチエとは当然ながら対立関係にあった。
手づかみが普通だったフランス宮廷の食卓にカトラリーを持ち込み、フランス料理のテーブルマナーの基礎を築いたともいわれる。占いを好み、ノストラダムスを重用したことでも有名。
フランス王(在位:1559-1560)。アンリ2世とカトリーヌ・ド・メディシスの長男で、スコットランド女王メアリー・ステュアートと結婚し、父の死によってフランス王に即位したが、先天性の持病があり、わずか16歳で崩御した。
即位直後から政治の能力に欠けるとみなされており、王妃の親族であるギーズ公が実権を握っていた。
ヴァロワ朝最後のフランス王(在位:1574-1589)。アンリ2世とカトリーヌ・ド・メディシスの子で、フランソワ2世、シャルル9世の弟。
当時は宗教対立が激化しており、カトリック派のギーズ公アンリ、ユグノー派のナバラ公アンリ(のちのフランス王アンリ4世)と対立し、「三アンリの戦い」と呼ばれた。カトリック派によって暗殺される。