イメージナビでは、専門性の高い海外のライブラリから提供された歴史画や君主の肖像画、当時の文献の画像など、貴重な歴史コンテンツを多数掲載しています。
特にヨーロッパ各国の王朝に関しては豊富な画像を取り揃えております。
その中でも、一度は名前を耳にしたことのある王や皇帝などそれぞれの時代を象徴する著名人に関連したコンテンツを王朝ごとにまとめてご紹介いたします。
▶ #01 15〜17世紀の神聖ローマ帝国
▶ #02 スペインのカトリック両王とポルトガル、大航海時代
▶ #03 イングランドのテューダー朝
▶ #04 イングランド・スコットランドのステュアート朝
▶ #05 フランスのヴァロワ朝
▶ #06 フランスのブルボン朝
この記事では、イギリス国教会を設立し、6人の妻を持ったことでも知られるヘンリー8世、ロンドンで一番有名な幽霊ともいわれる二番目の王妃アン・ブーリン、血のメアリーとして恐れられたメアリー1世、スペインの侵攻を退けた偉大な女王エリザベス1世など、チューダー朝の人物をご紹介します。
イングランド王(在位:1485-1509)。リチャード3世に勝利して薔薇戦争(白薔薇を紋章とするヨーク家と赤薔薇を紋章とするランカスター家が争ったことに因む)を終結させた。
妻エリザベス・オブ・ヨークとの間にはのちのヘンリー8世を含む8人の子供がいる。テューダー朝は孫の代で断絶するが、王位を継いだステュアート朝には彼の長女の血が受け継がれている。
イングランド王(在位:1509-1547)。ヘンリー7世とエリザベス・オブ・ヨークの子。キャサリン・オブ・アラゴン、アン・ブーリン、ジェーン・シーモア、アン・オブ・クレーヴズ、キャサリン・ハワード、キャサリン・パーの6人の妻がいる。最初の妻キャサリンと離婚してアン・ブーリンと再婚するため、離婚を禁止するカトリックから離脱しイングランド国教会を立ち上げた。
ヘンリー8世の最初の王妃で、のちのイングランド女王メアリー1世の母。カトリック両王イサベル1世とフェルナンド2世の娘であり自身も敬虔なカトリック教徒。ヘンリー8世の兄アーサー王太子の妃であったが、王太子が若くして亡くなったためヘンリー8世の王妃となった。
ヘンリー8世との離婚により王妃の座を追われた後も民衆からは慕われ続けたという。
ヘンリー8世の二番目の王妃で、のちのイングランド女王エリザベス1世の母。
元はキャサリン・オブ・アラゴンの侍女だった。ヘンリー8世の愛人ではなく王妃になることを望んだため、イングランド国教会の設立につながった。結婚からわずか2年後に国王暗殺と浮気の嫌疑をかけられロンドン塔で処刑された。以後、彼女の幽霊は各所で目撃されている。
ヘンリー8世の五番目の王妃。元は四番目の王妃アン・オブ・クレーヴズの侍女だった。30歳以上年の離れたヘンリー8世から「私の薔薇」と呼ばれ可愛がられていたが、まもなく浮気の嫌疑をかけられてロンドン塔で処刑された。
ハンプトン・コート宮殿の廊下で泣き叫ぶ幽霊が度々目撃され、彼女がヘンリー8世に無実を訴えている姿とされている。
イングランド女王(在位:1553-1558)。
母方の祖父母がカトリック両王であり自身も熱心なカトリック教徒である。父ヘンリー8世がはじめたイングランド国教会を否定し迫害した。その苛烈さから「ブラッディ・マリー」(血のメアリー)と恐れられ、同名のカクテルも存在する。
のちのスペイン王フェリペ2世と結婚したが、跡継ぎには恵まれなかった。
イングランド女王(在位:1558-1603)。生涯結婚しなかったことから「ザ・ヴァージン・クイーン」と呼ばれる。ヘンリー8世と二番目の妻アン・ブーリンの子。母の処刑後は一度庶子となったが、異母姉メアリー1世の崩御により王位を継いだ。スペイン無敵艦隊の侵攻を退けるなどの功績から彼女の治世は黄金時代とされ、劇作家ウィリアム・シェイクスピアも活躍した。