イメージナビでは、専門性の高い海外のライブラリから提供された歴史画や君主の肖像画、当時の文献の画像など、貴重な歴史コンテンツを多数掲載しています。
特にヨーロッパ各国の王朝に関しては豊富な画像を取り揃えております。
その中でも、一度は名前を耳にしたことのある王や皇帝などそれぞれの時代を象徴する著名人に関連したコンテンツを王朝ごとにまとめてご紹介いたします。
▶ #01 15〜17世紀の神聖ローマ帝国
▶ #02 スペインのカトリック両王とポルトガル、大航海時代
▶ #03 イングランドのテューダー朝
▶ #04 イングランド・スコットランドのステュアート朝
▶ #05 フランスのヴァロワ朝
▶ #06 フランスのブルボン朝
この記事では、エリザベス女王と対立したスコットランド女王メアリー1世ことメアリー・ステュアート、その息子でありスコットランド、イングランド、アイルランドを治めたジェームズ6世および1世、議会と対立し、王でありながら処刑されたチャールズ1世など、ステュアート朝のはじまりを代表する人物をご紹介します。
スコットランド女王(在位:1542-1567)。のちのフランス王フランソワ2世と結婚するも即位から間もなく夫が死去、スコットランドに帰国後ヘンリー・ステュアートと再婚した。夫の不審死に関与した疑惑により廃位されイングランドに亡命。自分こそがイングランドの正当な王位継承者だと主張したことが原因でエリザベス1世と対立し、のちに処刑された。
メアリー・ステュアート(メアリー1世)の二番目の夫でスコットランドの王配。ダーンリー卿とも呼ばれる。陽気で狩猟や芸術のセンスに優れ、メアリーとは数々の反対に逆らって結婚したが、実際には浮気癖があり傲慢な人物だった。メアリーの不倫を疑ったことが原因で寵臣の暗殺に関与、息子誕生の翌年に不審死した。メアリーの陰謀という説もあり、経緯については謎が多い。
スコットランド王(在位:1567-1625)。後にイングランドおよびアイルランドの王を兼任し、その場合はジェームズ1世(在位:1603-1625)となる。メアリー・ステュアート(メアリー1世)とヘンリー・ステュアートの子。母が父の暗殺容疑によりイングランドに亡命したことでわずか1歳でスコットランド王に即位。その後エリザベス1世の崩御を受けて王位を継いだ。
ジェームズ6世の王妃でチャールズ1世、王太子ヘンリー・フレデリック・ステュアート、プファルツ選帝侯の妃エリザベス・ステュアートらの母。デンマーク=ノルウェーの国王の娘。
美しい容貌で知られるが、贅沢な宝石、演劇、建築、旅行を好み、浪費を重ねて国に莫大な負債を残した。また、夫との間にも喧嘩が絶えなかったという。
イングランド、スコットランド、アイルランドの王(在位:1625-1649)。ジェームズ6世とアン・オブ・デンマークの子。妻はフランス王ルイ13世の妹ヘンリエッタ・マリア・オブ・フランス。父の方針を引き継いで専制政治を行おうとして議会と対立、反対派を処罰するなどして独断で政治を行い国内各地に内戦・反乱を引き起す。第二次イングランド内戦後に投降、処刑された。