ラメセス2世は20代で即位し、66年にわたって統治を行い、90歳前後で亡くなったとされています(平均寿命が40歳以下であった当時としては驚異的な寿命といえる)。 大国ヒッタイトとは長きに渡り戦いが続きましたが、紀元前1269年ついに平和条約が結ばれ、ラメセス2世はヒッタイトの王女を王妃に迎えました。これは世界で初の平和条約と言われています。 |
また、建築に対する関心も高く、ユネスコ世界遺産の制度が誕生するきっかけとなったアブ・シンベル神殿をはじめ、カルナック神殿、ラメセス2世葬祭殿(ラムセウム)など数多くの壮大な建造物を残しています。 |
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ラメセス2世には大勢の王妃や側室がいたとされ、その子供の数は200人近くいたとも考えられています。 |
1881年に発見された彼のミイラですが、身長は183cmもの長身でした。 |