カエサルは、「賽は投げられた」「来た、見た、勝った」「ルビコン川を渡れ」などの名言でも知られ、共和制から後の帝政ローマの基盤となる政治体制をつくりました。 |
クラッススの死後、元老院と協力関係になりつつあったポンペイウスとの関係が悪化し、内戦へと発展。カエサルの軍勢に圧されたポンペイウスは元老院と共にエジプトへ逃れ、そこでクレオパトラ7世(以下クレオパトラ)の弟であるプトレマイオス13世の部下によって暗殺されたとされています。 |
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クレオパトラは、カエサルに会うために自らを袋(諸説あり)にくるませ贈り物として届けたとされ、その演出と彼女自身の魅力でカエサルを魅了し、やがて子カエサリオンをもうけたといわれています。 カエサルは、ポンペイウス派や元老院派の残党を武力で平定し、クレオパトラとカエサリオンを伴ってローマで盛大な凱旋パレードを行いました。 |
ローマに帰還したカエサルは共和制を改革すべく元老院や民会といった機関を無力化し、自らは終身独裁官に就任して権力の集中を謀ります。この体制が、後の帝政ローマの基盤となっています。共和制そのものを否定するようなカエサルの政策と尊大な振る舞いはしだいに周囲の危機感を煽り、紀元前44年3月15日、複数の部下によって暗殺されます。 |