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HOME  >  特集  >  「三大美女」から見る古代エジプト特集  >  アウグストゥス
帝政ローマ時代 紀元前63〜紀元14年 アウグストゥス(ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタヴィアヌス)

カエサルの後継者

アウグストゥスことガイウス・ユリウス・カエサル・オクタヴィアヌスは、共和制ローマの英雄であったガイウス・ユリウス・カエサルの姪の息子にあたり、後にカエサルの養子に迎えられます。カエサルの暗殺後、遺志によって後継者に選ばれ、カエサルの部下であった退役兵たちの絶大な支持を得て勢力を伸ばしていきます。

オクタヴィアヌスはカエサルの死後に実権を握っていたアントニウスと対立し、カエサルを支持していた勢力を次々と見方に引き入れ、アントニウスを孤立させていきます。 さらに、紀元前42年にカエサルが「神君ユリウス」として神格化されたことを受け、オクタヴィアヌスは「神君の息子」と名乗り地位を高め、カエサルの神格化に反対したアントニウスは支持を失いました。

幼少のアウグストゥス
幼少のアウグストゥス
アントニウス
アントニウス

アントニウスとの対決

紀元前43年からはオクタヴィアヌスとアントニウス、そしてオクタヴィアヌスの同僚であったレピドゥスによる三頭政治が行われました。その中で決定された各々の支配地域に従ってアントニウスはエジプトへ移り、プトレマイオス朝の女王クレオパトラ7世と出逢い、カエサル同様、彼女に魅了され親密になっていきます。

その後レピドゥスが失脚したことで三頭政治は崩壊し、オクタヴィアヌスとアントニウスがローマの二大勢力となります。しかし、アントニウスは遠征の失敗やクレオパトラの援助を求めて妻を一方的に離縁したことなどで民衆の反感を買い、オクタヴィアヌスに弾劾されます。

オクタヴィアヌスはアントニウスがローマよりもエジプトを重視しているとして宣戦布告し、海戦に長けた武将を引き連れ、アントニウスとクレオパトラ7世の連合軍に勝利します。
アントニウスとクレオパトラ7世は自害、カエサルとクレオパトラの息子とされるカエサリオンもオクタヴィアヌスの指示で殺され、プトレマイオス朝は滅亡しました。

皇帝誕生

プトレマイオス朝を滅ぼして対立勢力を一掃したオクタヴィアヌスは、巧みな政治操作によって元老院の支持を得、ついにローマの全権を掌握します。
カエサルのように元老院や他の機関を無力化して権力を集中させるのではなく、従来の政治体制と共存するかたちで、後に帝政ローマとされる体制を確立しました。この際、カエサルの副官によって「アウグストゥス(尊厳者)」の称号を贈られます。
以後、オクタヴィアヌスは初代ローマ皇帝アウグストゥスと呼ばれ、長きにわたり戦争と内乱が続いていたローマを平定し、「パクス・ローマ(ローマの平和)」を実現した英雄として知られるようになりました。

自伝である「神君アウグストゥスの業績録」には「権威において万人に優越していても、権力においては同僚たちを凌駕しない」という一文があり、彼が統治者として君臨しながらも、従来の権力とのバランスを尊重し、良好な関係を築いていたことが伺えます。

元老院から皇帝に捧げられたアラ・パキス・アウグスタエ(アウグストゥスの平和の祭壇)
元老院から皇帝に捧げられたアラ・パキス・アウグスタエ
(アウグストゥスの平和の祭壇)
アウグストゥス帝とその家族の浮き彫り
アウグストゥス帝とその家族の浮き彫り